BERRY 10周年記念 hairs BERRYは、皆様のおかげで2012年10月…10周年を迎えることができました。
この10周年を記念して、BERRYではパリコレのバックヤードを担当させて頂くことになりました。 担当させて頂くのは、今回パリコレ初参戦の『araisara』。 海外でも活躍中のTeruさん率いるaraisaraチームを作り、BERRYからも7名の選抜メンバーが選出されました。 「地域に密着した街の小さな美容室」というイメージのBERRYが、“パリコレ”という と異世界な気もしますが、この刺激と感性を、これから続く次の10年に、そしてこれから出会う新しいお客様やスタッフ、新卒生たちにつなげているパイオニアとして、選抜メンバー7人を皆で応援していきたいと思います。 今まで10年間、本当にたくさんの方々のご支援を頂きました。ありがとうございました。 そしてこれからの10年間も、hairs BERRYを宜しくお願い致します。


パリコレの歴史

オートクチュール・コレクションの歴史はベルエポックと呼ばれた文化的爛熟期の20世紀初頭にさかのぼる。
オート(haute)クチュール(couture)を作り出し、高級衣装店協会を設立したシャルル=フレデリック・ウォルトが先頭に立ち、
最高の素材と技術、芸術的感覚で仕立てられる最高権威のコレクション「パリ・オートクチュール・コレクション」として1910年頃から開催されるようになった。
それゆえに「パリ・コレクション」とは、もともとはこのオートクチュール・コレクションを意味する言葉であった。
現在のように「パリ・コレクション」がプレタポルテを指すようになったのは1970年代のこと。
1950年頃までは世界の特注衣装を先導する存在であったが、1950年代、プレタポルテが服飾の奔流として台頭し、
1960年代に始まったプレタポルテ・コレクションから主導権を決定的なものにした。
1968年の五月革命を期に、社会構造が真の意味での現代へと突入したフランスでは大量消費時代の機運、既製服運転方式プレタポルテへと移り始める。
第二次大戦の終戦直前には106ものメゾンを数えたフランスのオートクチュールも、1980年代から1990年代にかけての世代交代期には20あまりにまでに激減した。 「パリ・コレクション」は現在、厳密な意味において(定義を満たし、活動の力点をオートクチュールに置く)オートクチュールの技術と資本を備えているメゾンは10前後とも言われている。
最高級注文服を注文する顧客は年々減少の下降の一途であり、世界中の顧客数が2000人に満たないのではないかという説もある。
フランスが誇る一文化としてオートクチュールを鑑みた際、享受層が極端に限定される文化の衰退は、もはや時代の移り変わりの象徴と言えるかも知れない。 パリで開催される、オートクチュール、プレタポルテ、通常どれも日本では「パリ・コレクション」と言うが、しかし、現在において「パリ・コレクション」というとまず先に、プレタポルテのコレクションを指して意味するようにもなっている。それらを区別する為にオートクチュールは「パリ・コレクション・オートクチュール編」と呼ばれている。



「パリ・プレタポルテ・コレクション」は3月に秋冬コレクション、10月に春夏コレクションが2週間前後の日程で開催発表される。
また「パリ・オートクチュール・コレクション」は1月に春夏コレクション、7月に秋冬コレクション、男性服コレクションも同じく2月と7月に開催される。これらを略して「パリコレ」という。
数多くの意匠家が独創性を重視した新しい作品を発表し、世界各国の媒体や服飾関係者、おもに買い手、報道業者、写真家、名士が開催時に招待客として前列に並ぶ。その他、特に有名意匠家のメゾンにおいては、世界的な著名人や重要人物顧客人などが招待される為に、実際には一般の人々が直接会場で見ることがとても難しい状況である。
世界の有名なプレタポルテの蒐集は主にニューヨーク・ロンドン・ミラノ・パリの4カ国4都市で開催される。多い時には各国から参加する意匠家を合わせて総勢200近いメゾンが参加する。 なかでもパリ・コレクションは世界的にも一番に規模が大きく、その年の服飾の流行が左右されるため注目度は非常に高い。 パリ・コレクションは84年、ルーブル美術館中庭に特設天幕を設営しそこを拠点会場として、一定期間にまとまった形で衣装展覧会が開催されていたが、1998年頃からは銘柄ごとにルーブル美術館内の地下会館や独自に会場を設けるメゾンも多くなった。

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